きれいになりたい友人を追うドキュメンタリー

きれいになるためにダイエットに取り組む友人を日々追っていく

【24day】痛みについて

本日について

 

■データ
身長 157センチ
目標 51.0キロ

 

■本日の体重
体重 57.8キロ
前日比 -0.3キロ

 

■本日の食事
朝 チーズトースト
昼 たこやき
晩 レトルトカレー

 

友人は保育園行事の罰ゲームでものまねをさせられたようだ。

友人はものまねを得意としている。

得意なジャンルは、有名人とかではなく、

職場のアノ人など、身近な素人さんのものまねだ。

「職場のアノ人」で爆笑を狙いにいっているため、

わずかながらの中傷的な表現も含まざるを得ない。

そのため、仲間内でしか披露ができず、

知る人ぞ知る、会員制的な持ち芸であった。

それはそれは秀逸な芸なのだ。

それを公の前でおろす機会がやってきた。

そんな彼女が選んだものまねは、

「ねこ」、

だった。

相手は先生と保護者と園児たちだ。

この先2年間ほど通園する予定がある。

「爆笑」よりも「置きに行く」ことを選択したのは、

懸命な判断だったと、そう思う。

 

がんばれ、あと-6.8キロ。

 

痛みについて

 

10年ほど前、ぎっくり腰になった。

その頃、都営三田線春日駅から三田駅まで通勤していた。

ホームにそんなに人がいなかったので、おそらく土曜日とかだったと思う。

 

電車が到着したので、乗車しようと向かったところ、ホーム上でくしゃみをした。

そうするとその瞬間バチンと何かがはじけ、腰に激痛が走った。

激痛と同時に、もうその場から動けなくなってしまった。

前にも後ろにも下にも動けなかった。

 

会社に遅刻することもできないし、誰かにこの状態から助けてもらう必要もあるので、

とりあえず出社するしかないと思い、足を進めた。

 

歩いてみたところ、びっくりするほど足が進まなかった。

人間てどうやって歩くんだっけな、と思った。

体のどこにどう負荷をかけたら、あの激痛が走るのかについて

法則が見いだせていないため、

激痛の恐怖におびえながら一歩一歩進んだ。

 

約5M先の電車の乗車口に到着するまで、恐らく10分はかかったと思う。

50cm/分、時速でいうと150m/時くらいの早さだ。

体のどこにも刺激を与えず、牛歩状態で歩いて

やっと出社したことを今でも鮮明に覚えている。

 

結果、出社後早退をし、病院に行き、コルセットをもらって、家で休んだ。

そして2日くらい経過したら自然と治った記憶がある。

 

それから10年、今、再発している。

ぎっくり腰というか深刻な腰痛だ。

あの時のぎっくりが原因に違いない。

2日寝ても治っていない。

たぶん再発から326日くらいは経過している。

 

腰を痛めると人というのは戦闘力が7割ほどダウンする。

色々な支障をきたすが、まず、床に座ったら、スッとは立ち上がれない。

スッと立ち上がる時に人はきっと腰を使っているのだ。

腰が使えなければ、腕で上半身を持ち上げなければいけないので、

床より少し高い位置にある「何か」が必要になる。

その「何か」に上半身の重みをあずけ、

軽くなったところで下半身を立ち上がらせる、という流れだ。

その「何か」が見つからない場合には、

おろおろする以外に行うことは何もない。

 

あと、寝返りを打てない。

結果、打つのだが、かなり困難を極める。

寝返りは、上半身から回し始めて、下半身が付いていくという

一連の流れをスムーズに行う行為だ。

しかし、ご想像の通り、腰でひねりをきかすことができないため、

本当に、驚くほどゆっくりと、大切に大切に下半身をあちら側に

向けなければ、行為が完了しない。

夜中の寝返りはいったいどうやって行っているのだろう。

それは自分でもわからない。

 

そして、何ていったって、走ることができない。

私は子供の頃足が速かった。

小学校1年生から中学校3年生までリレーの選手だったことを

今でも誇りに思っている。

そんな私が走ることができないのだ。

こんなに悔しいことはない。

しぬまでにやっておきたい10のことに「全力疾走で走る」をエントリーしている。

絶対に走ってやる。

 

こうして日々痛みと隣り合わせで生きている。

そんな私にとって、人生で一番の激痛は

「歯の神経に直接麻酔の注射を打った」

ことだ。

 

痛みを辛さで表現するのなら、

ぎっくり腰が「わさび」で、

歯の神経に直接麻酔は「青唐辛子をししとうと誤ってかじる」である。

神経直接麻酔も青唐辛子も、もう二度とごめんである。